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歴史とともに振り返る・デザイナー栄久庵憲司さんのロゴマーク

歴史とともに振り返る・デザイナー栄久庵憲司さんのロゴマーク

(画像引用元:Wikipedia

世界中のロゴマークに関するニュースを特集する「ロゴマーク最新情報!」。
今回は日本を代表するインダストリアルデザイナーであり、数々のロゴマークも手がけた栄久庵憲司さん逝去のニュースから、良いロゴマークについて考えます。

今では懐かしい形となった、冒頭の写真のようなキッコーマンのこの商品。最近では密封パッケージなども販売されていますが、寿司屋や居酒屋に足を向ければ、今でも冒頭の写真のような醤油差しを見かけますよね。実はこの形をデザインしたのが栄久庵憲司さんです。

1929年に東京都で産声を上げた栄久庵憲司さん。翌年ハワイに移住し、37年には日本に帰国します。その後、1945年に3月に海軍兵学校に入学しますが、程なく太平洋戦争は終結。栄久庵憲司さんの父の実家が広島だったこともあり、同年8月下旬には広島に転居することとなります。
当時の広島は、原爆が落とされた後の、一面焼け野原が広がる世界。現代に生きる私たちには想像もつかないような、絶望的な光景が広がっていました。しかし、その何もない世界が、栄久庵憲司さんをインダストリアルデザインの世界に向かわせるきっかけとなったと、後にご本人はさまざまなメディアで語っています。

そんな栄久庵憲司さんは、ヤマハのオートバイや新幹線E3系「こまち」など、さまざまなインダストリアルデザインを手がけられていますが、数々のロゴマークデザインを行っていることでも知られています。

有名なところでは、東京都のシンボルマークやJRAのロゴマーク、コスモ石油のロゴマークなど、現在でも使用されているさまざまなロゴマークデザインを担当されています。

歴史とともに振り返る・デザイナー栄久庵憲司さんのロゴマーク
(画像引用元:JRA Staff by Masahiko Satoh | Frickr

歴史とともに振り返る・デザイナー栄久庵憲司さんのロゴマーク
(画像引用元:Wikipedia

いずれもシンプルながら、印象に残りやすいデザインが多く、標準化や視認性が求められるロゴマークのお手本にしたいものばかりです。
一過性の奇抜さでもなく、シンプルすぎて記憶に残らないものでもない、人々の生活にすっと馴染むロゴマークを作るというのは、実はとても難しいもの。ここまで多くの素晴らしいデザインを生み出してきた原点には、彼が広島で感じた「人とモノとの結びつきの大切さ」があるのかもしれません。

さまざまなモノがあふれた現代では、こうした「人とモノとの結びつきの大切さ」を感じることはなかなかないかもしれません。
しかし、企業のロゴマークにせよ、商品や何かを記念したロゴマークにせよ、人と何かをつなげる役割をロゴマークが果たしていることは間違いありません。こうした「つながり」を認識することが、良いロゴマークを作り出すためには大切なのかもしれませんね。

※参考サイト
GK Design Group

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